Blog コラム
書くことが学習に与える影響
茗荷谷の個別指導学習塾ESCAの塾長岸田です。
最近の授業では、ITツールの発達により塾だけではなく学校の授業形態も大きく変わりつつあります。
など、講師からしても生徒からしても非常に便利になりました。おそらく今後も、書籍のデジタル化、板書をする機会の減少という傾向は加速していくでしょう。
もちろんこれらは良い面もあるのですが…
この流れが加速すると、【「書く」機会】が減ってしまうのではないかと危惧しています。
「手を動かして書く」という作業は非常に大切な行為です。
この記事では、今だからこそ「書く」ということを見直し、考えてみていただきたいと思います。
最初に述べておきますが、私自身は書籍のデジタル化をはじめ、様々な教育ツールが普及することは非常に良いことだと思っています。
重い教科書を持ち歩く必要もありませんし、膨大な客観的データの蓄積は人間には感覚的にしかできないことです。
書く機会が減るということはそれだけ別のことに割ける部分が多くなるということ。
最大のメリットは「授業理解に全神経を集中できる」ということでしょう。
生徒の中には授業中、板書に全力に注いでいる生徒もいます。
「自分もそうだった」と心当たりのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
しかも、板書に全力を注ぐ生徒ほど、めちゃくちゃカラフル、丁寧にノートをとるため、授業の内容を全く理解していない・・・ということが大変よく起こります。
当塾でも、真面目な生徒ほど陥りがちな現象ですね。
しかし、授業レジュメの配布、データ化によって、授業中の板書地獄から解放され、授業理解に全神経を集中させることができます。
さらに、板書をレジュメ化することにより、書き漏らしを防ぐこともできます。
書き漏らしは講師、生徒双方に起こりうることですが、板書をデジタル化しておくことで、常に書き漏らしのない、再現性の高いノートで復習することが可能です。
このように、「書く機会の減少」というのは、講師、生徒双方にメリットがあります。しかし、何も考えずにこのメリットを享受していると、思わぬ落とし穴に落ちてしまう可能性もあります。
学習は「入力」「理解」「使用」「定着」という要素に分けることができます。
授業や教科書から情報を入力し、その内容を理解する。
そして理解した内容を実際に使用し、それを繰り返すことによって定着させます。書く機会が少なくなると、以下のような3つの理由から、学業に対するモチベーションが低い生徒は定着度が下がってしまうのではないかという懸念があります。
1つめは「覚える意識が働かなくなる」。
板書の取り方は人それぞれです。
講師が板書するのに合わせてノートを取る生徒もいれば、ある程度板書がまとまった段階でノートを取る生徒もいます。
また、特に違うのは、「板書を見ながらノートを取る」か「ある程度板書を覚えてノートを取るか」という点です。
私の場合は、板書を見ながらノートを取らず、ある程度(1文とか、数文)をなるべく覚えてノートに取っていました。
これは当時意識していませんでしたが(というか、当たり前だと思っていた)、今になって思うと、新たな知識とのファーストコンタクトの段階で、ある程度覚えようという意識を働かせていたということになります。結果的に知識の定着に非常に大きな役割を担っていたと思います。
2つめは、「覚えた、または理解した気になってしまう」
基本的に人間は自分の興味のないことは「勉強したくない」生き物です。
せめて勉強したくないのであれば、作業に「目的」を作ってあげなければなりません。
板書を取るという目的をなくしてしまえば、ぼーっと授業を聞くだけになってしまい、なるべく勉強をしたくないと思っている生徒は授業に対して全く無関心という現象が起きます。
そして3つ目は「ミラーリングの機会が少なくなる」。
ミラーリングというのは、その名の通り人の真似をすること。
ミラーリングをすることで、脳内のミラーニューロンが活性化し、記憶に大きな影響を与える、という研究結果も報告されています。
講師が書いたものをそのまま真似をして板書するだけで、ミラーリングの効果が得られるとするならば、板書の機会が少なくなることで、記憶に影響が出る可能性は否定できません。
板書を取る習慣がなくなることで一番悪影響がある恐れがあるのが、書く習慣がなくなることです。
学習塾を経営して痛感したことですが、一部の天才を除くと、書く習慣のない生徒は基本的に成績が悪いです。
ここで言う「書く」というのは板書をするという意味ではありません。
板書はもちろんですが、途中式や問題の情報整理、図示、などといった、自分のための情報の「可視化」すら習慣化していないのです。
このように書く習慣がなくなってしまうと、問題が解けなくなるどころか、普段の学習にも影響を与えることになります。
特に自分なりに情報を整理し、脳のメモリ(ワーキングメモリ)を節約するという習慣がなくなることは学習に非常に悪影響を与えます。
ワーキングメモリというのは短期記憶、つまり頭で処理をするときの「まな板」みたいなものです。
例えば暗算などをするときはこのワーキングメモリを使います。
計算問題を考えてみましょう。3+10×20÷2-5・・・・は?という問題が口頭で出された時、普通の人は特に制限がなければメモを取りながら考えると思います。
問題を覚える+問題を考えるという作業を同時ワーキングメモリ(まな板)上で行うと、両者に割けるワーキングメモリが小さくなりますし、場合によっては溢れてしまうこともあります。
問題を覚えるという作業をメモを取ることにより無くしてしまい、問題を考えることだけにワーキングメモリを割くことで、問題を解きやすくするのです。
難問や、問題文が長い問題に出会ったとき、白紙で解答を質問する生徒がいますが、それなら最初から答えを見れば良いだけです。
講師は生徒がどこまで分かっていて、どのような作業をしているかというところを見ながら、「この考え方が違う」というフィードバックを与えるほうが効率的な指導ができます。
何も分からないのであれば、問題文の情報を整理してみる、図にしてみる、単元の覚えるべきものが覚えられているか確認する、ノートを見返す、といった作業をしなければならず、これを授業中にやることは、指導の効率を下げてしまうことになります。
書く習慣がない生徒ほど、白紙で質問に来るというのは想像に難くないと思いますが、板書を取る習慣がなくなっても、書くという習慣は残しておきたいものです。
前項で述べた問題文の可視化という部分について、もう少し詳しく説明します。「書く」という作業には、問題解決を図る上で非常に優秀な「可視化」という作業が含まれていることは前項で説明しました。
そしてこの可視化には、前項で示したワーキングメモリの補助に加えて、「想起力」を高めるという効果もあります。
鏡やお手本動画を見ながら振り付けを覚えるという経験をしたことはあるでしょうか?
経験のない人はぜひやってみて欲しいのですが、鏡やお手本を見て振り付けを覚えた後、何も見ずに振り付けを再現すると、「あれ?覚えてると思ったんだけど所々忘れてるな・・・」ということが起こります。
これは鏡やお手本の動きを見ることで、その次の動きを「想起」できるからです。
なにも見ずに振り付けを思い出そうとしても、前の動きが見えないので、この補助ツールが機能しないわけです。
問題を解いている時もこの想起力というのは重要です。
人間はこれまで経験したことを覚えているのですが、その情報を取り出すことが難しいのです。実は人間の五感の中で最も想起力を促すのは嗅覚と言われているのですが、視覚でもその恩恵は受けられます。
とにかく白紙癖のついている生徒は、まず問題文の情報を分かりやすく可視化する練習から始めると良いと思います。
いかがでしょうか。書くことについての重要性を述べてきましたが、昨今のIT化によって、書く機会が失われてしまうこともあります。もちろん、IT化はメリットも大きいので、歓迎すべきことではあります。ただし、それにあわせて教育の受け手側も変化しなければならないというのが私の意見です。
教育の効率化の恩恵を最大限享受するためにも、流されるまま変化を受け入れるのではなく、デメリットになりうることも意識し、対応する必要があります。
学習塾ESCAでは「書く力」を非常に大切にした指導を行っています。わからない問題であっても、白紙回答を禁止し、問題文のデータ整理と可視化など自分にできることを必ず書かせるようにしています。
その他の勉強法についても過去記事をご参照ください。
最近の授業では、ITツールの発達により塾だけではなく学校の授業形態も大きく変わりつつあります。
- パワーポイントの使用
- 管理ツールなどでの授業レジュメの配布
など、講師からしても生徒からしても非常に便利になりました。おそらく今後も、書籍のデジタル化、板書をする機会の減少という傾向は加速していくでしょう。
もちろんこれらは良い面もあるのですが…
この流れが加速すると、【「書く」機会】が減ってしまうのではないかと危惧しています。
「手を動かして書く」という作業は非常に大切な行為です。
この記事では、今だからこそ「書く」ということを見直し、考えてみていただきたいと思います。
デジタル化は、授業理解に全神経を集中できる環境を実現した
最初に述べておきますが、私自身は書籍のデジタル化をはじめ、様々な教育ツールが普及することは非常に良いことだと思っています。
重い教科書を持ち歩く必要もありませんし、膨大な客観的データの蓄積は人間には感覚的にしかできないことです。
書く機会が減るということはそれだけ別のことに割ける部分が多くなるということ。
最大のメリットは「授業理解に全神経を集中できる」ということでしょう。
生徒の中には授業中、板書に全力に注いでいる生徒もいます。
「自分もそうだった」と心当たりのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
しかも、板書に全力を注ぐ生徒ほど、めちゃくちゃカラフル、丁寧にノートをとるため、授業の内容を全く理解していない・・・ということが大変よく起こります。
当塾でも、真面目な生徒ほど陥りがちな現象ですね。
しかし、授業レジュメの配布、データ化によって、授業中の板書地獄から解放され、授業理解に全神経を集中させることができます。
さらに、板書をレジュメ化することにより、書き漏らしを防ぐこともできます。
書き漏らしは講師、生徒双方に起こりうることですが、板書をデジタル化しておくことで、常に書き漏らしのない、再現性の高いノートで復習することが可能です。
このように、「書く機会の減少」というのは、講師、生徒双方にメリットがあります。しかし、何も考えずにこのメリットを享受していると、思わぬ落とし穴に落ちてしまう可能性もあります。
「板書を取る機会の減少」が及ぼす影響3つ
学習は「入力」「理解」「使用」「定着」という要素に分けることができます。
授業や教科書から情報を入力し、その内容を理解する。
そして理解した内容を実際に使用し、それを繰り返すことによって定着させます。書く機会が少なくなると、以下のような3つの理由から、学業に対するモチベーションが低い生徒は定着度が下がってしまうのではないかという懸念があります。
1つめは「覚える意識が働かなくなる」。
板書の取り方は人それぞれです。
講師が板書するのに合わせてノートを取る生徒もいれば、ある程度板書がまとまった段階でノートを取る生徒もいます。
また、特に違うのは、「板書を見ながらノートを取る」か「ある程度板書を覚えてノートを取るか」という点です。
私の場合は、板書を見ながらノートを取らず、ある程度(1文とか、数文)をなるべく覚えてノートに取っていました。
これは当時意識していませんでしたが(というか、当たり前だと思っていた)、今になって思うと、新たな知識とのファーストコンタクトの段階で、ある程度覚えようという意識を働かせていたということになります。結果的に知識の定着に非常に大きな役割を担っていたと思います。
2つめは、「覚えた、または理解した気になってしまう」
基本的に人間は自分の興味のないことは「勉強したくない」生き物です。
せめて勉強したくないのであれば、作業に「目的」を作ってあげなければなりません。
板書を取るという目的をなくしてしまえば、ぼーっと授業を聞くだけになってしまい、なるべく勉強をしたくないと思っている生徒は授業に対して全く無関心という現象が起きます。
そして3つ目は「ミラーリングの機会が少なくなる」。
ミラーリングというのは、その名の通り人の真似をすること。
ミラーリングをすることで、脳内のミラーニューロンが活性化し、記憶に大きな影響を与える、という研究結果も報告されています。
講師が書いたものをそのまま真似をして板書するだけで、ミラーリングの効果が得られるとするならば、板書の機会が少なくなることで、記憶に影響が出る可能性は否定できません。
書く習慣がなくなる恐れがある
板書を取る習慣がなくなることで一番悪影響がある恐れがあるのが、書く習慣がなくなることです。
学習塾を経営して痛感したことですが、一部の天才を除くと、書く習慣のない生徒は基本的に成績が悪いです。
ここで言う「書く」というのは板書をするという意味ではありません。
板書はもちろんですが、途中式や問題の情報整理、図示、などといった、自分のための情報の「可視化」すら習慣化していないのです。
このように書く習慣がなくなってしまうと、問題が解けなくなるどころか、普段の学習にも影響を与えることになります。
特に自分なりに情報を整理し、脳のメモリ(ワーキングメモリ)を節約するという習慣がなくなることは学習に非常に悪影響を与えます。
ワーキングメモリというのは短期記憶、つまり頭で処理をするときの「まな板」みたいなものです。
例えば暗算などをするときはこのワーキングメモリを使います。
計算問題を考えてみましょう。3+10×20÷2-5・・・・は?という問題が口頭で出された時、普通の人は特に制限がなければメモを取りながら考えると思います。
問題を覚える+問題を考えるという作業を同時ワーキングメモリ(まな板)上で行うと、両者に割けるワーキングメモリが小さくなりますし、場合によっては溢れてしまうこともあります。
問題を覚えるという作業をメモを取ることにより無くしてしまい、問題を考えることだけにワーキングメモリを割くことで、問題を解きやすくするのです。
難問や、問題文が長い問題に出会ったとき、白紙で解答を質問する生徒がいますが、それなら最初から答えを見れば良いだけです。
講師は生徒がどこまで分かっていて、どのような作業をしているかというところを見ながら、「この考え方が違う」というフィードバックを与えるほうが効率的な指導ができます。
何も分からないのであれば、問題文の情報を整理してみる、図にしてみる、単元の覚えるべきものが覚えられているか確認する、ノートを見返す、といった作業をしなければならず、これを授業中にやることは、指導の効率を下げてしまうことになります。
書く習慣がない生徒ほど、白紙で質問に来るというのは想像に難くないと思いますが、板書を取る習慣がなくなっても、書くという習慣は残しておきたいものです。
文章で書かれているデータを可視化する
前項で述べた問題文の可視化という部分について、もう少し詳しく説明します。「書く」という作業には、問題解決を図る上で非常に優秀な「可視化」という作業が含まれていることは前項で説明しました。
そしてこの可視化には、前項で示したワーキングメモリの補助に加えて、「想起力」を高めるという効果もあります。
鏡やお手本動画を見ながら振り付けを覚えるという経験をしたことはあるでしょうか?
経験のない人はぜひやってみて欲しいのですが、鏡やお手本を見て振り付けを覚えた後、何も見ずに振り付けを再現すると、「あれ?覚えてると思ったんだけど所々忘れてるな・・・」ということが起こります。
これは鏡やお手本の動きを見ることで、その次の動きを「想起」できるからです。
なにも見ずに振り付けを思い出そうとしても、前の動きが見えないので、この補助ツールが機能しないわけです。
問題を解いている時もこの想起力というのは重要です。
人間はこれまで経験したことを覚えているのですが、その情報を取り出すことが難しいのです。実は人間の五感の中で最も想起力を促すのは嗅覚と言われているのですが、視覚でもその恩恵は受けられます。
とにかく白紙癖のついている生徒は、まず問題文の情報を分かりやすく可視化する練習から始めると良いと思います。
まとめ
いかがでしょうか。書くことについての重要性を述べてきましたが、昨今のIT化によって、書く機会が失われてしまうこともあります。もちろん、IT化はメリットも大きいので、歓迎すべきことではあります。ただし、それにあわせて教育の受け手側も変化しなければならないというのが私の意見です。
教育の効率化の恩恵を最大限享受するためにも、流されるまま変化を受け入れるのではなく、デメリットになりうることも意識し、対応する必要があります。
学習塾ESCAでは「書く力」を非常に大切にした指導を行っています。わからない問題であっても、白紙回答を禁止し、問題文のデータ整理と可視化など自分にできることを必ず書かせるようにしています。
その他の勉強法についても過去記事をご参照ください。
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